戦艦【扶桑/Fuso】竣工:1915年11月8日
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艦隊これくしょん -艦これ-

大日本帝国海軍 連合艦隊 :戦艦『扶桑』

大日本帝国海軍連合艦隊の戦艦【扶桑/Fuso】

戦艦『扶桑/ふそう』は、扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による、大日本帝国海軍初の超弩級戦艦である。艦名の扶桑は、中国の伝説で"東方のはてにある巨木"を意味するという。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)末期のスリガオ海峡海戦レイテ沖海戦)で、敵大艦隊の待ち伏せを受け轟沈した。『扶桑』の壮絶な末路であった。

▼海外の反応:海底で戦艦山城、扶桑が発見される!スリガオ海峡海戦で戦没した艦艇か

戦艦『扶桑』の性能、艦名の由来

戦艦扶桑の艦名は"東方のはてにある巨木"を意味し、中国の伝説が由来である。その巨木の立つ土地を扶桑国としていたことから、古い時代では、扶桑は日本の異名にもなっていたという。第一次・第二次近代化改装を経て、主砲仰角の引き上げや対空砲の増設、装甲強化やバルジ増設、機関出力の改善、水上偵察機の搭載など様々な改装が行われたが、結果的に速力は低下した。 ■全長:192.0m ■全幅:28.68m ■乗員:1,193名 ■排水量:30,650t ■巡航能力 □速力:22.5kt □航続距離:14,816km ■兵装 □四一式45口径35.6cm連装砲6基12門 □四一式50口径15cm単装砲16門 □三年式40口径7.6cm単装高角砲4門 □朱式6.5mm機砲3門 □四一式短8cm砲外膅12門 □53cm魚雷発射管6門 ■搭載機 □水上偵察機:3機

戦艦『扶桑』レイテ湾へ進撃

太平洋戦争の開戦以来、戦艦扶桑は戦地を転々とするも、特にこれといった戦闘を経験せぬままであった。そんな折の1944年10月、扶桑は、大日本帝国海軍と連合国軍の総力戦ともいえるレイテ沖海戦に参加することとなる。 目的地であるレイテ湾を目指すにあたり、日本海軍第二艦隊は3つの部隊に分けて編成されていた。主力の第一部隊と第二部隊(栗田艦隊)、そして戦艦扶桑を含む速度の遅い艦艇で編成された第三部隊(西村艦隊)である。 10月24日、速力の違いから西村艦隊全7隻は本隊とは別コースでレイテ湾を目指していたが、ミンダナオ海にて敵空母艦載機の空襲を受ける。 対空戦闘中の戦艦扶桑(手前)と重巡洋艦最上/レイテ沖海戦 写真画像:対空戦闘中の戦艦扶桑(手前)と重巡洋艦最上(奥)/レイテ沖海戦 急降下爆撃機約20機によるこの攻撃で、扶桑の後部甲板に装備していた爆雷が爆発し水上偵察機2機が炎上、さらにその2機が装備していた小型爆弾が誘爆し、一面火の海となってしまう。また、爆弾1発が艦上部を貫通してから爆発したことで、艦内部が大破。浸水が発生し、扶桑の船体は右舷に2度傾斜した。 応急処置を施すも傾斜は回復せず、扶桑はそのまま進撃を続けた。その先にあるのは、レイテ湾への入口となるスリガオ海峡である。しかしそこには、敵魚雷艇部隊が待ち構えていた。

戦艦『扶桑』の最後

10月24日22時36分、西村艦隊はアメリカ海軍魚雷艇部隊と会敵、戦艦扶桑も砲撃を開始する。敵魚雷艇を撃退しつつスリガオ海峡を進撃する西村艦隊であったが、さらにその先にはジェシー・B・オルデンドルフ少将率いる大艦隊が待ち伏せていた。 その戦力は、西村艦隊7隻に対しオルデンドルフ艦隊79隻という、圧倒的な差であった。 2時53分、襲撃してきた敵駆逐艦部隊と交戦開始。大量に発射された魚雷のうち1本が扶桑の右舷中央部に命中し、扶桑はついに陣形(単縦陣)から脱落してしまう。その直後の3時10分、戦艦扶桑が大爆発。海峡の闇を眩い爆熱が照らす。 船体が真っ二つとなった扶桑はしばらく漂流していたが、艦前部は4時20分頃にそのまま沈没、艦後部は5時20分頃に重巡洋艦ルイスビルによって沈められたとされている。 大量の魚雷攻撃で致命的なダメージを負った西村艦隊は、さらにその先で待ち構えていた敵戦艦・巡洋艦部隊の激烈な砲撃の嵐によって壊滅した。この地獄から生還したのは、駆逐艦時雨ただ1隻のみであった。

戦艦『扶桑』が参加した海戦
ミッドウェー海戦 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦!
レイテ沖海戦 全艦出撃!さらば連合艦隊

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