戦艦【武蔵/Musashi】竣工:1942年8月5日
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艦隊これくしょん -艦これ-

大日本帝国海軍 連合艦隊 :戦艦『武蔵』

大日本帝国海軍連合艦隊の戦艦【武蔵/Musashi】

戦艦『武蔵/むさし』は、大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の2番艦。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)において、最も長く連合艦隊旗艦を務めた艦艇であった。また、武蔵は、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦としても知られる。1944年10月24日、シブヤン海海戦(レイテ沖海戦)にて戦没。

後に、戦艦武蔵は、世界最大の戦艦、最大の艦砲を搭載した軍艦、世界一被弾火薬量の多い軍艦の3項目それぞれにおいてギネス世界記録に認定された。

動画:当時の記録映像で見る戦艦武蔵の最後

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戦艦『武蔵』の性能、大和との違いは?

戦艦武蔵は、大日本帝国海軍の指揮下のもと、姉妹艦の大和同様、長崎造船所にて極秘裏に建造された。戦艦武蔵と大和の違いとして、武蔵は大和において弱点とされた副砲塔周辺の防御力を強化している点が挙げられる。ただし後の改装においては大和と違い高角砲を充分に調達できず、大和が12基なのに対し武蔵は6基と、最終的な対空戦闘能力はやや劣っていたと推測できる。 建造期間中の機密に関する警戒は非常に厳重なもので、船台の周りは、すだれ状の目隠しとして、漁網で使用する棕櫚が全面に張り巡らされた。また付近の住民でさえも情報は一切公開される事はなく、造船所を見つめているだけで体罰を受けたり、逮捕される者もいたという。 戦艦武蔵建造時の秘話・逸話については、徹底した取材で史実を記したという吉村昭の長編ドキュメント『戦艦武蔵』にて詳細に見ることができる。 ▼吉村昭『戦艦武蔵』 戦艦武蔵は、太平洋戦争が勃発したことで予定工期を大幅に繰り上げる事になったが、作業員の超人的な努力により1942年8月に竣工。事実上、大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦となった。 ■全長:263.0m ■全幅:38.9m ■乗員:3,300名 ■排水量:72,809t ■巡航能力 □速力:27.46kt □航続距離:13,334km ■兵装 □45口径46cm砲3連装3基9門 □60口径15.5cm砲3連装2基6門 □40口径12.7cm連装高角砲6基12門 □25mm3連装機銃35基105門 □25mm単装機銃25基25門 □13mm連装機銃2基4門 □12cm28連装噴進砲2基56門 ■搭載機:最大7機 □零式水上偵察機零式水上観測機

戦艦『武蔵』の最後

ブルネイから出撃する戦艦武蔵 写真画像:ブルネイから出撃する戦艦武蔵(1944年10月22日) 1943年1月22日、戦艦武蔵連合艦隊旗艦となる。しかし太平洋戦争開戦以降、トラック諸島泊地に待機したままであったことから、武蔵御殿あるいは武蔵旅館と揶揄されていたという。ただし海戦には参加しなかったが、この間、海軍甲事件で戦死した山本五十六大将の遺骨を武蔵が東京へ移送したり、昭和天皇による武蔵行幸なども行われた。 そんな戦艦武蔵に初めて出撃の機会が訪れたのは、1944年6月のマリアナ沖海戦であった。 この海戦で武蔵は、大和、金剛、榛名などと共に艦隊前方で空母の盾の役割を担う。しかし、戦果としてアメリカ軍機20機以上を撃墜、撃破するも、敵攻撃隊が空母のみを主なターゲットとしたため囮にはなり得なかった。 続くレイテ沖海戦では、栗田健男中将率いる第一遊撃部隊の一艦としてレイテ湾へ進軍する作戦に参加する。戦艦武蔵、最後の大舞台である。 10月22日、戦艦武蔵を含む栗田艦隊がブルネイを出撃。その翌日、アメリカ海軍潜水艦2隻の襲撃を受け栗田艦隊はいきなり損害を被る。さらにその翌日、マーク・ミッチャー中将率いる第38任務部隊と会敵し、シブヤン海海戦が勃発した。 戦艦武蔵、最後の戦闘/シブヤン海海戦 写真画像:戦艦武蔵、最後の戦闘/シブヤン海海戦 24日9時30分、戦艦武蔵は、迫り来るアメリカ軍機へ向け通信妨害電波を発信しつつ対空戦闘開始。これ以降、アメリカ軍攻撃隊による襲撃は15時21分まで6度にわたって続き、この間、武蔵は爆弾17発以上、魚雷20本以上、至近弾18発以上(※軍艦武蔵戦闘詳報)を受け大破、大火災を起こす。 一方、武蔵による主砲射撃は計53回、副砲射撃は計203回行われたとされている。乗組員たちの懸命の応急処置も空しく、最終的には左舷30度傾斜し総員退艦命令が下された。このとき、武蔵艦長の猪口敏平少将が艦橋旗甲板で脱出者を見送っていたという。最後に残した言葉は、「申シ訳ナキハ、対空射撃ヲ、有効ニ活カセヌ事ニ有リ」。 19時35分、武蔵は左舷に転覆し爆発、艦首から深海へと沈んでいった。このときの沈没場所は、東経122度32分、北緯13度7分とされている。

戦艦『武蔵』発見時の沈没場所と引き上げ

2015年3月2日、沈没した戦艦武蔵の船体が、マイクロソフト社の共同創業者ポール・アレン氏の調査チームによって発見された。それによれば、武蔵の沈没場所はシブヤン島の真北、シブヤン海中央部の水深1,000mの地点であった。 海底にて武蔵の船体が発見されたことで、引き上げについても当時話題となった。しかし実際に引き上げるとなると、天文学的ともいえる莫大な費用がかかるとされる。また、「沈んだ艦は戦死した者たちの墓標として扱うべき」など引き上げ反対の意見も多い。 現在も、戦艦武蔵はフィリピン中央部シブヤン海の海底に横たわったまま、多くの遺骨と共に静かな眠りについている。 動画:戦艦武蔵発見時の記録映像

戦艦『武蔵』が参加した海戦
マリアナ沖海戦 迫る絶望…それでも戦い続ける
レイテ沖海戦 全艦出撃!さらば連合艦隊

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