大日本帝国海軍 連合艦隊
:戦艦『金剛』
金剛型戦艦の1番艦『金剛/こんごう』は、大日本帝国海軍がイギリスに発注した超弩級巡洋戦艦。艦名の金剛は、奈良県と大阪府の境にある金剛山に由来し、海上自衛隊こんごう型護衛艦の1番艦『こんごう』にも受け継がれた。1913年にヴィッカースで竣工して以来、2度の改装が行われ、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では高速戦艦として前線で活躍した。特にサマール沖海戦(レイテ沖海戦)で大きな戦果を上げるも、1944年11月21日、その帰途でアメリカ海軍潜水艦『シーライオン』の魚雷攻撃を受け沈没。
日本海軍:戦艦『金剛』の性能
戦艦金剛は、1911年1月17日にバロー=イン=ファーネス造船所にて起工、1913年8月16日に竣工した後、日本に回航された。主機はヴィッカース製の蒸気タービンを搭載したが、後の改装で純国産の艦本式ギヤードタービン4基に換装した。主砲は最後までヴィッカース製の45口径毘式36cm連装砲を装備していた。
金剛は第二次世界大戦時において、大日本帝国海軍の現役戦艦のなかでは最も老齢であった。しかし、第一次改装(1928~1931年)で防御力の強化、第二次改装(1935~1937年)で機関と兵装の強化が実施されていたため、攻防速のバランスが良い高速戦艦となった。また、戦争末期にはレーダーを装備し機銃を大幅に増設したことで索敵能力や対空戦闘能力が向上した。
■全長:219.4m
■全幅:31.0m
■乗員:2,367名
■排水量:31,720t
■巡航能力
□速力:30.3kt
□航続距離:18,150km(18kt)
■戦時最終兵装
□45口径毘式35.6cm連装砲:4基
□50口径四一式15.2cm単装砲:8基
□40口径八九式12.7cm連装高角砲:6基
□九六式25mm3連装機銃:18基
□九六式25mm連装機銃:8基
□九六式25mm単装機銃:30挺
■レーダー
□二式2号電波探信儀1型:1基
□仮称2号電波探信儀2型:2基
□三式1号電波探信儀3型:2基
■搭載機
□水上偵察機:3機
戦艦『金剛』によるアメリカ軍基地砲撃
太平洋戦争開戦時、戦艦金剛は、金剛型戦艦同型艦3隻と共に第三戦隊に配属となる。1941年12月10日、マレー沖海戦が生起。このとき戦艦金剛はイギリス海軍戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を一時射程内に収めていたが、砲撃戦には至らなかった。
その後、金剛は、戦艦榛名と護衛の駆逐艦2隻と共にクリスマス島砲撃を行う。1942年4月5日から勃発したセイロン沖海戦では、金剛型戦艦4隻全てが参加した。
写真画像:右から戦艦金剛・榛名・霧島・比叡、空母飛龍・蒼龍・赤城/セイロン沖海戦
セイロン沖海戦で圧倒的勝利を飾るも、その後のミッドウェー海戦では大敗し、大日本帝国海軍は大規模な艦隊再編成を実施。第三戦隊は金剛と榛名のみとなる。
1942年10月13日、第三戦隊を主力とする挺身攻撃隊が編成され、ガダルカナル島ヘンダーソン基地への夜間艦砲射撃を実施。敵防衛部隊と交戦しつつ、金剛は計462発、榛名は計504発の主砲弾を撃ち込んだ。
これにより、アメリカ軍航空機54機を撃破。ヘンダーソン飛行場は誘爆を起こしながら火の海と化した。ただし、飛行場を完全に破壊するには至らなかったとされている。
戦艦『金剛』の活躍と最後
写真画像:空襲を受け対空戦闘中の戦艦金剛/マリアナ沖海戦
1942年10月以降、作戦支援に従事していた戦艦金剛であったが、1944年6月のマリアナ沖海戦では前線に投入され、続くレイテ沖海戦では敵大艦隊の真っ只中へ突撃する作戦に参加することとなる。
レイテ沖海戦終盤となった10月25日、戦艦金剛は、栗田健男中将率いる第二艦隊の一艦としてレイテ湾へ進撃、アメリカ艦隊に遭遇したことでサマール沖海戦が勃発した。
この戦闘で金剛は、戦艦大和らと共にアメリカ海軍空母『ガンビア・ベイ』、駆逐艦『ホーエル』『サミュエル・B・ロバーツ』を撃沈。主砲弾計309発、副砲弾計347発、高角砲計2,128発、機銃弾50,230発を消費した激しい戦闘であった。
その後、戦艦金剛は、他戦艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻という編成で日本本土への帰路につく。どの艦艇も、先の戦闘で相応のダメージを負っていた。途中で駆逐艦1隻が脱落し、さらに11月21日零時、警戒のため艦隊が台風突入コースをとったことで軽巡洋艦1隻が落伍した。
そんな状況の2時56分、密かに追跡を続けていたアメリカ海軍潜水艦『シーライオン』が6本の魚雷を発射。このうち1本が駆逐艦『浦風』に、2本が金剛に命中した。これにより浦風は轟沈、金剛は損傷により浸水、傾斜し始める。
応急修理をしつつ航行を続ける金剛であったが、徐々に傾斜が増大。5時30分頃、さらに大きく傾斜した際に火薬庫が大爆発を起こし、そのまま沈没していった。沈没地点は定かではないが、台湾北部の基隆北方とされている。
金剛は、日本海軍の戦艦で唯一、潜水艦の雷撃により沈んだ戦艦となったが、皮肉にも、第二次世界大戦中に潜水艦に沈められた他2隻の戦艦もイギリス製であったという。
戦艦『金剛』の艦内神社・慰霊碑
戦艦金剛の艦内神社は大阪府南河内郡千早赤阪村にある建水分神社だったとされている。1930年より、金剛の艦内神社には建水分神社の御分霊である神鏡が奉安されていた。
1972年11月21日、長崎県の佐世保東山海軍墓地・東公園に「金剛」と刻まれた慰霊碑が建立され、戦死した島崎利雄艦長以下1250名の霊が祀られた。また、沈没時の金剛艦首の軍艦旗が福岡県の飯塚市歴史資料館にて保存されている。
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