大日本帝国海軍 連合艦隊 :戦艦『陸奥』
戦艦『陸奥/むつ』は長門型戦艦の2番艦。1番艦『長門』と共に大日本帝国海軍の象徴として長く親しまれ、連合艦隊旗艦も務めた。世界に7例しかなかった40cm砲搭を装備していたことから、竣工当時は世界七大戦艦と呼ばれた。艦名の陸奥は、旧国名の陸奥国に由来する。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では常に温存され、海戦にはほとんど参加しなかった。1943年6月、原因不明の大爆発を起こし沈没。
戦艦『陸奥/むつ』は長門型戦艦の2番艦。1番艦『長門』と共に大日本帝国海軍の象徴として長く親しまれ、連合艦隊旗艦も務めた。世界に7例しかなかった40cm砲搭を装備していたことから、竣工当時は世界七大戦艦と呼ばれた。艦名の陸奥は、旧国名の陸奥国に由来する。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では常に温存され、海戦にはほとんど参加しなかった。1943年6月、原因不明の大爆発を起こし沈没。
戦艦陸奥は長門型戦艦の2番艦であったが、長門とは艦橋の形状にやや違いがあり、菊花紋章も長門に比べやや高い位置にあったとされる。1934年から2年にわたり行われた大改装では、主砲、高角砲の仰角改善やバルジ装備などのほか、様々な工事が実施された。この際、燃料搭載量を増やしたことで航続距離が増えたが、速力は低下したとされている。 ■全長:224.94m ■全幅:34.60m ■乗員:1,333名 ■排水量:39,050t ■巡航能力 □速力:25.28kt □航続距離:16,020km(16kt) ■戦時最終兵装 □45口径三年式41cm連装砲:4基 □50口径三年式14cm単装砲:18門 □40口径八九式12.7cm連装高角砲:4基 □九六式25mm連装機銃:10基
太平洋戦争が始まるも戦艦陸奥は常に後方で温存され、戦闘らしい戦闘をせぬまま"その時"を迎えた。1943年6月8日、突如として起こった謎の爆沈である。 その日、戦艦陸奥は、無風のなか霧に包まれながら広島湾沖柱島泊地に停泊していた。周囲には大日本帝国海軍の様々な艦艇が同様に停泊中である。 12時10分頃、陸奥は休憩時間だったという。突然、三番砲塔~四番砲塔付近から大爆発が起こった。凄まじい爆発で船体が折れ、前部は右舷に傾斜しつつ瞬く間に沈没。後部も数時間後に沈んでしまう。この爆沈で1121名が死亡したとされている。 その後、謎の最後を遂げた戦艦陸奥について様々な説が検証されたが、いずれも真相究明には至らなかった。メディアが記事にした内容としては、1959年に週刊文春が「陸奥爆沈は共産主義者の工作」という説を唱えたり、1970年には朝日新聞が「四番砲塔内から犯人と推定される遺骨が発見された」としている。この犯人というのは、当時窃盗の容疑を掛けられていた人物だという。 真相は未だに不明のままである。
沈没してしまった戦艦陸奥であったが、実は主砲(45口径41cm連装砲)の四番砲塔が江田島の「海上自衛隊第1術科学校」にそのまま現存する。これは1935年、大改装の際に取り外されたものである。謎の爆沈にも関係する四番砲塔が現存するというのは、何か因縁めいている気もする。 写真画像:戦艦陸奥の主砲4番砲塔/1947年:江田島
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