重巡洋艦【羽黒/Haguro】竣工:1929年4月25日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :重巡洋艦『羽黒』

大日本帝国海軍連合艦隊の重巡洋艦【羽黒/Haguro】

重巡洋艦『羽黒/はぐろ』は、大日本帝国海軍妙高型重巡洋艦の4番艦である。艦名は山形県の羽黒山に由来する。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では数々の海戦に参加し激闘を繰り広げた。満身創痍の状態で戦ったペナン沖海戦にて戦没。

日本海軍:重巡洋艦『羽黒』の性能

重巡洋艦羽黒は1925年3月16日に三菱造船長崎造船所にて起工、1929年4月25日に竣工した。主機は純国産の艦本式ギヤード・タービンを搭載。主砲は防熱板付きの20cmD型連装砲を採用した。その後、羽黒は改装によってカタパルトを増設し偵察機の搭載可能数が増えたほか、主砲を口径203mmに換装、高角砲や魚雷発射管を一新、レーダーや対空機銃を装備するなど武装が強化された。また、戦争末期には13mm機銃を撤去し25mm機銃を増設したとされる。 ■全長:203.76m ■全幅:19.0m ■乗員:704名 ■排水量:13,963t ■巡航能力 □速力:35.6kt □航続距離:12,964km(14kt) ■戦時最終兵装 □50口径三年式20.3cmD型連装砲:5基 □40口径八九式12.7cmA1型改Ⅰ連装高角砲:4基 □九六式25mm連装機銃:4基 □九三式13mm連装機銃:2基 □九二式61cm1型4連装水上発射管:4基 □九三式魚雷:24本 ■レーダー □二式2号電波探信儀1型:1基 □仮称2号電波探信儀2型:2基 □三式1号電波探信儀3型:1基 ■搭載機 □水上偵察機:3機

重巡洋艦『羽黒』の艦内神社と慰霊碑

重巡洋艦羽黒の沈没時、第五戦隊司令官橋本信太郎中将や杉浦嘉十艦長を含め400名以上が戦死したが、約320名は駆逐艦神風の救助により生還した。羽黒の艦内神社は、山形県の出羽三山神社であったとされている。 1971年5月16日、長崎県の佐世保東山海軍墓地・東公園「軍艦羽黒戦没者慰霊碑」と黄金色で刻まれた慰霊碑が建立され、艦と運命をともにした英霊たちが祀られた。 この慰霊碑には、羽黒艦橋左舷の舷窓枠が装着されている。これは、2003年にペナン島沖水深64メートルの海底で発見された重巡洋艦羽黒の船体から、著名なダイバーである堀龍一氏のグループによって引き揚げられたものとされる。 2005年9月23日、ペナン島沖にて、日英合同慰霊祭が開催された。

『羽黒』が参加した海戦
スラバヤ沖海戦 太平洋戦争初の大規模艦隊戦!
珊瑚海海戦 人類史上初!空母同士の熾烈な艦隊決戦!
ミッドウェー海戦 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦!
第二次ソロモン海戦 終わりなきソロモンの攻防
ブーゲンビル島沖海戦 ろ号作戦で展開されたカオスな艦隊戦!
マリアナ沖海戦 迫る絶望…それでも戦い続ける
レイテ沖海戦 全艦出撃!さらば連合艦隊
ペナン沖海戦 人知れず戦い抜いた満身創痍の船がいた

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