ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)/Operation Ke
ケ号作戦は、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)中期の1943年2月1日から7日にわたり実行されたガダルカナル島撤退作戦である。作戦名は捲土重来が由来。後のキスカ島撤退作戦もケ号作戦と呼ばれるが、同じ「ケ」でもネーミングの由来が異なっている。ケ号作戦の最中に発生した海戦はイザベル島沖海戦とも呼ばれる。ケ号作戦の前段階としてレンネル島沖海戦も勃発した。
ケ号作戦は、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)中期の1943年2月1日から7日にわたり実行されたガダルカナル島撤退作戦である。作戦名は捲土重来が由来。後のキスカ島撤退作戦もケ号作戦と呼ばれるが、同じ「ケ」でもネーミングの由来が異なっている。ケ号作戦の最中に発生した海戦はイザベル島沖海戦とも呼ばれる。ケ号作戦の前段階としてレンネル島沖海戦も勃発した。
日本軍がケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)の発動に至った経緯として、弾薬や食糧の補給が滞っている現状があった。補給を行う輸送船や駆逐艦が多数撃沈されていたためである。補給が遅れることでガダルカナル島の兵力の維持もままならず、第一次・第二次総攻撃も失敗に終わり、未だにヘンダーソン飛行場基地はアメリカ軍の手中にあった。 制空権を掌握している敵軍と、一切航空支援がない日本軍では圧倒的に相手が有利であり、既に鼠輸送が成功する確率すら低い状況だった。ガダルカナル島内では餓死者が続出。カニバリズム(食人)まで発生していたとされる。そんななかでようやく発令されたのが、ガダルカナル島撤退を目的とするケ号作戦である。 作戦名は捲土重来が由来であるとされる。この言葉には、"一度は失敗したが猛烈な勢いで巻き返す"という意味が込められているとのこと。そういったこともあり、ケ号作戦におけるガダルカナル島撤退も、実際には単なる撤退ともいえるが、あえて転進という言葉が使われた。 ケ号作戦は1942年12月31日に開かれた御前会議で決定され、2月に実行されることとなった。アメリカ軍には"日本軍による第三次総攻撃がある"と思わせるよう、陽動部隊(東方牽制隊)が結成され、カントン島方面で偽電文の発信や潜水艦『伊七型』による見せかけの砲撃なども行われた。
ケ号作戦の発動が目前に迫るなかガダルカナル島にアメリカ海軍太平洋艦隊・第18任務部隊が接近し、1942年1月29~30日にかけてレンネル島沖海戦が勃発した。 この海戦により日本海軍航空隊が重巡洋艦『シカゴ』を撃沈。見事、敵艦隊を追い払うことに成功した。もし接近を阻止できていなければ、ケ号作戦の進行に影響がでていた可能性もある。 しかし第18任務部隊は撃退したものの、その艦隊が護衛していた輸送船団は無事ガダルカナル島に到着し、島内のアメリカ軍兵力をさらに増強させることとなった。
1942年2月1日、ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)が開始された。撤退は3回に分けて行われ、人員は駆逐艦によって輸送された。その数は1万2000名以上であったとされている。また、撤退の最中に小規模の戦闘も発生した。それらについてはイザベル島沖海戦とも呼称されている。 ケ号作戦の各撤収部隊は以下のように編成された。 ▼第一次ガダルカナル島撤収時の編成 ▽エスペランス隊 警戒隊:文月、白雪、江風、親潮、舞風、巻波 第10駆逐隊(輸送隊):風雲、巻雲、夕雲、秋雲 第17駆逐隊(輸送隊):浦風、磯風、浜風、谷風 ▽カミンボ隊 警戒隊:皐月、長月 第16駆逐隊(輸送隊):時津風、雪風 第8駆逐隊(輸送隊):大潮、荒潮 ▼第二次ガダルカナル島撤収時の編成 ▽エスペランス隊 警戒隊:黒潮、白雪、朝雲、五月雨、舞風、江風 第10駆逐隊(輸送隊):風雲、夕雲、秋雲 第17駆逐隊(輸送隊):谷風、浦風、浜風、磯風 ▽カミンボ隊 警戒隊:皐月、文月、長月 第16駆逐隊(輸送隊):時津風、雪風 第8駆逐隊(輸送隊):大潮、荒潮 ▼第三次ガダルカナル島撤収時の編成 ▽第一連隊 一番隊:黒潮、白雪 二番隊:朝雲、五月雨 三番隊(輸送隊):時津風、雪風、皐月、文月 ▽第二連隊 第10駆逐隊:風雲、夕雲、秋雲 第17駆逐隊:谷風、浦風、浜風、磯風 第8駆逐隊:大潮、荒潮 第22駆逐隊:長月
2月1日9時30分、第一次撤収部隊がショートランド泊地から出撃。しかしそれを察知していたアメリカ軍は、計41機からなる航空部隊を差し向ける。日本艦隊は夕刻にその攻撃を受け、零式艦上戦闘機18機の援護のもと対空戦を繰り広げた。 そのなかで駆逐艦『巻波』が爆弾1発を受け大破、航行不能になり、駆逐艦『文月』に曳航され引き返した。また、ケ号作戦の航空支援として付近を飛行していた日本海軍の九九式艦上爆撃機13機が、サボ島沖を航行中の敵小艦隊を発見し攻撃。駆逐艦『ニコラス』が損傷し、さらに『ド・ヘイブン』に爆弾3発を命中させ撃沈した。 ガダルカナル島に到着した第一次撤収部隊は、同日夜、海軍兵士250名、陸軍兵士5164名を収容。その際、駆逐艦『巻雲』が機雷に接触し大破、自沈処分された。さらにアメリカ軍魚雷艇11隻が来襲したが、砲撃で2隻を撃沈、航空支援で1隻を沈め撃退した。 2月2日午前、第一次撤収部隊はブーゲンビル島エベレンタに帰還し、まず最初の撤収はおおむね成功するかたちとなった。
2度目の撤収は2日後に行われた。参加艦艇は第一次と同様に20隻であった。2月4日午前、零戦29機の護衛のもと第二次撤収部隊がショートランド泊地を出撃。それに対しアメリカ軍は計63機の攻撃隊を送り込んだ。 14時00分、アメリカ軍機が襲来。先頭を航行する駆逐艦『舞風』が至近弾を受け大破炎上、航行不能となり、駆逐艦『長月』に曳航され引き返す。また、駆逐艦『白雪』も機関が故障したため引き返した。 ガダルカナル島に到着した第二次撤収部隊は、海軍兵士519名、陸軍兵士4458名を収容しブーゲンビル島エベレンタに帰還した。
ガダルカナル島最後の撤収は2月7日、18隻によって行われた。作戦を指揮する第八艦隊司令部では、既にケ号作戦の全貌がアメリカ軍に見破られている可能性があるとの懸念があったが、実際には未だにこれが撤退作戦であるとは感づかれていなかった。 第三次撤収部隊がショートランド泊地を出撃すると、艦隊は再びアメリカ軍機の攻撃にさらされた。そのなかで駆逐艦『磯風』が爆弾2発を受け損傷、炎上し、艦隊を離脱。この際、曳航を断り自力で離脱していったとされている。 第三次撤収部隊はガダルカナル島にて海軍兵士25名、陸軍兵士2224名を収容。さらにラッセル諸島にて計390名を収容し、無事エベレンタに帰還した。 アメリカ側が日本軍の撤退に気付いたのは、2月8日の朝だったという。
日本海軍>> 【沈没】:『巻雲』 【大破】:『巻波』 【中破】:『舞風』『磯風』 アメリカ海軍>> 【沈没】:『ド・ヘイブン』魚雷艇3隻 【小破】:『ニコラス』