空母【飛龍/Hiryu】竣工:1939年7月5日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :航空母艦『飛龍』

大日本帝国海軍連合艦隊の空母【飛龍/Hiryu】

航空母艦『飛龍/ひりゅう』は、真珠湾攻撃に参加するなど、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)の緒戦で活躍した、大日本帝国海軍連合艦隊正規空母である。ミッドウェー海戦にて健闘を見せたものの戦没。『飛龍』は艦橋が左舷に配置されており、世界的に見ても珍しい空母として知られていた。

日本海軍:空母『飛龍』の性能

航空母艦飛龍以降、日本海軍の空母は全て右舷艦橋となったが、飛龍だけが左舷艦橋のまま竣工した。レシプロ機の着艦において、プロペラの回転方向の関係で左へ流れやすいため、艦橋が左舷にあっては障害となることが判明していたが、当時飛龍はすでに竣工間近であったため左舷艦橋のまま建造が進められ、珍しい左舷艦橋の空母として完成したのである。 飛龍は防御力という点ではある程度の砲撃にも耐えうる装甲を装備していた。しかし飛行甲板は厚さ5mm程度の鋼板の上に45mmの木材甲板が貼られているというもので、対空防御力は極めて低かった。ただし木製飛行甲板は、対衝撃吸収性能に優れ交換修理も容易、軽量である分搭載機数を増やせる、という長所もあった。 ■全長:227.35m ■全幅:222.00m ■乗員:1,103名 ■排水量:21,882t ■巡航能力 □速力:34.59kt □航続距離:18,983km(18.142kt) ■戦時最終兵装 □40口径八九式12.7cmA1型改Ⅱ連装高角砲:6基 □九六式25mm3連装機銃:7基 □九六式25mm連装機銃:5基 □九一式爆雷:6個 ■搭載機:57機(※1941年12月7日) □零式艦上戦闘機:21機 □九七式艦上攻撃機:18機 □九九式艦上爆撃機:18機

空母『飛龍』の艦内神社と慰霊碑

空母飛龍艦内神社は静岡県富士宮市の熊野神社だったとされている。1974年6月5日、長崎県の佐世保東山海軍墓地・東公園「飛龍」と刻まれた慰霊碑が建立され、戦死した山口多聞司令官、加来止男艦長以下800名余の英霊を祀る。碑文は「在天の山口司令官 加来艦長はじめ たくさんの戦友たちよ あの日のことども ともに語りたい その後のことも聞いてほしい だが今はそれもかなわず とこしえにこの聖地に み霊安らかに眠れかしと ただ祈るのみ」と書かれている。

『飛龍』が参加した海戦
真珠湾攻撃 米主力艦隊壊滅!太平洋戦争の始まり
ウェーク島沖海戦 戦艦主砲で武装した島vs連合艦隊!
セイロン沖海戦 インド洋で連合艦隊怒涛の攻撃!
ミッドウェー海戦 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦!

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