大日本帝国海軍 連合艦隊 :航空母艦『赤城』
空母『赤城/あかぎ』は、天城型巡洋戦艦の2番艦として起工されたが、建造途中で航空母艦へと改造された。艦名の赤城は群馬県前橋市の赤城山に由来する。竣工した1927年以降あまり出番はなかったが、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)開戦時には、大日本帝国海軍連合艦隊:南雲機動部隊の旗艦として真珠湾攻撃に参加。その後も機動部隊主戦力として活躍した。ミッドウェー海戦にて戦没。
空母『赤城/あかぎ』は、天城型巡洋戦艦の2番艦として起工されたが、建造途中で航空母艦へと改造された。艦名の赤城は群馬県前橋市の赤城山に由来する。竣工した1927年以降あまり出番はなかったが、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)開戦時には、大日本帝国海軍連合艦隊:南雲機動部隊の旗艦として真珠湾攻撃に参加。その後も機動部隊主戦力として活躍した。ミッドウェー海戦にて戦没。
空母赤城は、天城型巡洋戦艦2番艦として建造中だった船体を強引に航空母艦へ改造し、三段式空母として竣工する。しかしその後、航空機の高速化に伴い離着陸距離が不足となり、一段全通式空母へと改装された。 多段式空母というスタイルは、空母先進国である日本やイギリスならではの発想であった。三段式空母赤城は、航空機をどのように運用するかという模索のなかで生まれたようだが、実際には、甲板の長さ的に上段しか役に立たなかったとされている。こうしたことから、赤城以降の空母では全通式が主流となっていった。 ■全長:260.67m ■全幅:31.32m ■乗員:1,630名 ■排水量:41,300t ■巡航能力 □速力:31.20kt □航続距離:15,186km(16kt) ■戦時最終兵装 □50口径三年式20cmA1型単装砲:6門 □45口径十年式12cmA2型単装高角砲:6基 □九六式25mm連装機銃:14基 ■搭載機:常用66機(※1941年12月7日) □零式艦上戦闘機:21機 □九七式艦上攻撃機:27機 □九九式艦上爆撃機:18機
空母赤城の艦内神社は群馬県前橋市の三夜沢赤城神社。全国に約300社あるとされる赤城神社の本宮のひとつである。1935年10月、同市内の大洞赤城神社に「大日本帝国 軍艦赤城」と刻まれた慰霊碑が建立された。ただし神社自体は、荒廃により後に小鳥々島へ移されている。
『赤城』が参加した海戦 | |
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真珠湾攻撃 | 米主力艦隊壊滅!太平洋戦争の始まり |
セイロン沖海戦 | インド洋で連合艦隊怒涛の攻撃! |
ミッドウェー海戦 | 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦! |