United States of Americaww2:1942年2月24日~9月29日
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アメリカ本土攻撃/American Theater

アメリカ本土攻撃

太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)開戦以来、連勝を重ねていた大日本帝国海軍連合艦隊は、その勢いのままアメリカ本土攻撃を計画。世界最強のアメリカ合衆国へ潜水艦隊が進撃し、各々に、沿岸での通商破壊、砲撃、搭載機による空襲を実行した。人類の歴史において、アメリカ本土への爆撃に成功したのは世界で唯一、日本だけとされている。また、これらの攻撃の影響からか、日本海軍機を誤認しアメリカ陸軍が迎撃したロサンゼルスの戦いも勃発した。

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アメリカ本土攻撃に参加した日本海軍潜水艦

▼西海岸沿岸での通商破壊 『伊9』『伊10』『伊15』『伊17』『伊19』『伊21』『伊23』『伊25』『伊26▼アメリカ本土砲撃伊17』『伊25』『伊26▼アメリカ本土空襲伊25

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アメリカ西海岸沿岸での通商破壊

1941年12月8日、真珠湾攻撃を成功させた大日本帝国海軍連合艦隊は、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)における緒戦で連勝を重ね、ついにはアメリカ本土攻撃の一環として、アメリカ西海岸沿岸にも戦力を展開した。 派遣されたのは、巡洋潜水艦甲型『伊9』伊10』、乙型『伊15』『伊17』『伊19』『伊21』『伊23』『伊25』『伊26』の計9隻であった。 12月20日、『伊17』が、カリフォルニア州メンドシノ岬西方でアメリカ船籍のタンカー『エミディオ』を発見。主砲で撃破後、魚雷でとどめを刺す。さらに12月23日、ユーレカ南西でアメリカ船籍のタンカー『ラリー・ドヘニー』を発見し、砲撃で損傷させた。 伊17がエミディオを撃沈 (大破・浸水し岩場に座礁するエミディオ) 同日、『伊21』は、カリフォルニア州ピエドラス・ブランカス灯台南方でアメリカ船籍タンカー『モンテベロ』を発見。魚雷で大破させた後、砲撃により撃沈する。その後さらに、フロリダ州エステロ湾付近でアメリカ船籍タンカー『アイダホ』を発見し、砲撃で大破させた。しかし12月24日、アメリカ軍機の爆雷攻撃を受け『伊21』も損傷した。 12月25日には、『伊19』がアメリカの木材運搬船『アブサロカ』を発見し魚雷で撃破。その後『アブサロカ』はフォート・マッカーサー基地近くの海岸で座礁、全損となった。 これら西海岸沿岸での通商破壊は住宅街から見える範囲でも行われ、アメリカ政府や国民に大きな衝撃を与えた。

第一次・アメリカ本土砲撃

1941年12月に行われた一連の通商破壊戦は、日本海軍潜水艦9隻でアメリカ本土を一斉砲撃する計画の前段階であったが、その際は、「クリスマス前後にアメリカ本土を攻撃し、民間人に死者を出した場合、アメリカ国民を過度に刺激してしまう」という理由で延期された。 日本海軍潜水艦隊は一度アメリカ西海岸沿岸を離れたが、1942年2月20日、『伊17』は再び舞い戻りカリフォルニア州サンディエゴ近海へ。 翌日、浮上充電中に哨戒艇に見つかり追跡されるも、潜航して振り切りサンタバーバラ沖へ移動。2月24日19時10分、再び浮上した。『伊17』単艦でアメリカ本土を攻撃するためである。 ターゲットは、サンタバーバラ近郊のエルウッド石油製油所。まず石油貯蔵タンクを狙って7回砲撃し、さらに精油所へ10発の主砲弾を浴びせた。炎上するエルウッド石油製油所に複数の消防車が駆けつけ、サイレンがけたたましく鳴り響く。『伊17』が発射した砲弾は、エルウッド石油製油所の様々な設備や、周辺地域の施設に損害を与えたとされている。 住民らの通報で、アメリカ軍航空機3機と駆逐艦2隻が日本海軍艦艇の攻撃へ向かったが、『伊17』はすでに現場海域を離脱していた。 『伊17』が行った砲撃は、事実上のアメリカ本土先制攻撃であり、政府や軍、国民に大きな動揺を与えた。カリフォルニア州の都市ロサンゼルス、サンディエゴ、モントレーなどでは、ラジオ放送の中止や灯火管制も行われたという。 西海岸沿岸での通商破壊、エルウッド石油製油所砲撃の報を受け、アメリカ政府上層部は「日本海軍連合艦隊によるアメリカ本土空襲、上陸計画が行われる可能性が非常に高い」と分析。フランクリン・ルーズベルト大統領は、陸軍上層部へ日本軍上陸時の阻止を打診するも、陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」と事態をより重く見ていた。

UFO参戦?!ロサンゼルスの戦い/Battle of Los Angeles

『伊17』がアメリカ本土攻撃を行った翌日の1942年2月25日、パニックに陥ったカリフォルニア州で、前代未聞ともいえるロサンゼルスの戦いが勃発する。 アメリカ西海岸一帯の警戒態勢が一時解除されてから、わずか3時間後の2月25日深夜1時44分、ロサンゼルスにある防空レーダーが、西方193km地点に謎の飛行物体が飛来するのを感知。アメリカ陸軍はそれらが日本軍機であると推測し、航空隊が直ちにスクランブル態勢に入った。 3時頃、やがて飛行物体の数は25機と判明。サンタモニカ上空では、赤く光りながら時速約320kmで飛行する物体が、陸軍兵士や多くの市民たちに目撃される。 完全に目視できることから、3時12分、アメリカ陸軍第37沿岸砲兵旅団が対空射撃を開始。大都市ロサンゼルスが日本軍の空襲を受けているという事態に、このロサンゼルスの戦いは全国ネットのラジオ局で生中継され、ロサンゼルス市民は大混乱に陥った。 対空砲火は4時15分まで続けられ、消費した高射砲弾は1430発に及んだが、1機も撃墜できず。その後さらに、陸軍航空隊の戦闘機による迎撃戦が繰り広げられるも、約20分後、謎の飛行物体は忽然と姿を消してしまった。 一度も爆撃されることはなかったが、この戦闘のなかで対空砲火の破片が直撃した3名が死亡、さらに市民3名が心臓麻痺で死亡した。 ロサンゼルスの戦い (当時の状況を伝えるロサンゼルス・タイムスの記事) このロサンゼルスの戦いについて、アメリカ国内では様々な憶測や誤報が飛び交ったが、当時、アメリカ西海岸近海で展開していた日本海軍空母は存在せず、且つ潜水艦隊もほとんどが同海域を離れていたことから、少なくとも日本軍航空機ではなかったといえる。 結局のところ、それが宇宙から飛来したものか否かは別として、正体不明の未確認飛行物体、いわゆるUFOであり、それに対しアメリカ陸軍が戦闘を繰り広げたというのは事実である。 一方、ロサンゼルスの戦いへつながる混乱を引き起こした『伊17』は、まだしばらくアメリカ西海岸沿岸での哨戒を継続していた。 3月1日、『伊17』は、サンフランシスコ南西沖でアメリカ船籍のタンカー『ウィリアム・H・ベルク』を発見、一斉発射した魚雷が命中し大破させる。とどめを刺すべく、浮上し砲撃を開始するが、『ウィリアム・H・ベルク』も搭載砲で応戦。やがてアメリカ海軍駆逐艦が接近してきたため、潜航し退避。3月12日、アメリカ本土近海を離れた。

第二次・アメリカ本土砲撃

1942年5月31日、アメリカ本土攻撃のため『伊26』がワシントン州シアトル沖へ進撃。続いて6月2日、『伊25』も同海域へ進出する。 6月7日、『伊26』がフラッタリー岬南西でアメリカ船籍貨物船『コースト・トレーダー』を発見し、魚雷攻撃により撃沈する。さらに6月20日、『伊26』はカナダのバンクーバー島西方で浮上し、エステヴァン岬にあるカナダ軍レーダー基地を主砲で砲撃した。砲撃は17回行われたが、荒天と視界不良のため有効な命中弾は得られなかった。 その後、カナダ艦船5隻とカナダ空軍機が迎撃に駆けつけたが、『伊26』はすでに退避していた。 翌日の6月21日、フラッタリー岬にて、『伊25』がイギリス船籍貨物船『フォート・カモスン』を発見、魚雷攻撃により撃破した。さらに同日、『伊25』はコロンビア川河口で浮上し、オレゴン州アストリア市郊外のフォート・スティーブンス陸軍基地を砲撃した。このとき、艦長の田上明次少佐は、目標を潜水艦基地と誤認していたという。 砲撃は16分間行われ、主砲弾17発が発射された。この間、フォート・スティーブンス陸軍基地では、混乱に陥りながらも総員が戦闘配置に付いたが、砲火によって照準されるのを恐れ、あえて防御に徹していた。 『伊25』の砲撃により、フォート・スティーブンス陸軍基地内や周辺施設が小規模の損害を被り、さらに通信網が破壊されたため、一時的に広範囲の通信途絶を引き起こした。 フォート・スティーブンス陸軍基地砲撃後、『伊25』はアメリカ軍機の空襲を受けるも損傷はなく、6月30日、無事にアメリカ本土を離れた。 ちなみに、『伊25』が発射した砲弾のうち1発がゴルフ場に着弾し、戦後、その場所に記念碑が建てられたとされる。

アメリカ本土への空襲・爆撃

ドーリットル空襲で面目を潰された連合艦隊司令部は、その後、潜水艦搭載の零式小型水上偵察機によるアメリカ本土空襲を計画していた。具体的な目標は、警戒態勢が整えられた軍施設や、民間人を傷つける都市部ではなく、火災(山火事)で間接的に生産施設に損害を与えられる森林部であった。そのため、これを実行する『伊25』の艦載機には焼夷弾2発が搭載された。 1942年9月7日、『伊25』がオレゴン州沖に進撃。9月9日早朝、藤田信雄飛曹長が乗る零式小型水上偵察機を発進させ、5時35分、ブルッキングス近郊の森林部に焼夷弾2発を投下した。その際、炎上は確認したが火災は広がらず。しかし虚を突かれたアメリカ軍は何もできず、藤田機は無事帰還した。ちなみにこの際、多くの住民が藤田機を目撃していたという。 9月10日、『伊25』にアメリカ軍機が来襲、爆雷攻撃により損傷した。9月29日、二度目のアメリカ本土爆撃を決行する。 21時07分、初空襲と同様に、藤田信雄飛曹長が零式小型水上偵察機に乗り込み発進。ケープブランコ灯台の明かりを目印に飛行し、オレゴン州オーフォード近郊の森林部に焼夷弾を投下した。しかし二度目も、炎上は確認できるもののやはり小規模の火災にしかならなかった。 結局、計画通りの被害は与えられなかったが、アメリカ合衆国が本土空襲を受けたのは歴史上初であり、マスコミを通して伝えられることでアメリカ国民を恐怖に陥れた。実際、これ以降、日本軍による空襲に備え、アメリカ西海岸地域の大都市にシェルターや防空壕が設置された。

その後も続いた『伊25』による攻撃

アメリカ本土攻撃後も、『伊25』は西海岸沿岸での通商破壊戦を続行した。 1942年10月4日、『伊25』がオレゴン州クーズベイ近海でアメリカ船籍タンカー『キャムデン』を発見。魚雷攻撃により撃沈した。さらに10月6日、以前に『伊17』が仕留め損なった『ラリー・ドヘニー』に遭遇し、魚雷で撃沈する。 その後、駆逐艦2隻に追跡されたため退避するも、10月11日、オレゴン州西方で浮上航行する潜水艦を発見。潜航後、残された最後の魚雷1本を発射した。30秒後に魚雷は命中し、2度の大爆発を起こす。 『伊25』では、このとき撃沈した潜水艦をアメリカ海軍所属と認識していたが、後にソ連海軍潜水艦『L-16』であったと判明。当時、日本はソビエト連邦とは戦争状態ではなかったが、抗議や損害請求などが行われることもなく、且つソビエト連邦内で公表されることもなかったという。

英雄となった藤田信雄飛曹長

終戦後、藤田信雄は「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」としてオレゴン州ブルッキングス市に招待され、熱烈な歓迎を受けたとされている。その際、市民から藤田信雄が投下した焼夷弾の破片が贈られたため、藤田信雄は、友情の印として当時使用していた軍刀を寄贈した。 実はこの軍刀は、「戦犯として収監されるのかもしれない」と覚悟していた藤田信雄が、自決のために所持していたという。 これ以降、藤田信雄とブルッキングス市は多くの交流を続けた。1992年には、かつて爆撃した地域に平和の象徴として植林を行い、ブルッキングス市では、新設された図書館に「藤田コーナー」が設けられ、藤田信雄が寄贈した日本刀が展示された。 また、ロナルド・レーガン大統領からは、日米友好に貢献した藤田信雄に対し、ホワイトハウスに掲揚されていた星条旗が贈られた。 死去となる1997年9月30日の数日前、藤田信雄はブルッキングス市の名誉市民となる。さらに、死去後の1998年10月、当時爆撃した地域に藤田信雄の遺灰の一部が埋められ、後に「アメリカ大陸が唯一日本機に空爆された地点」と書かれた看板が立てられた。

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アメリカ本土攻撃での各国の被害状況

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