Kiska, Aleutian Islandsww2:1943年7月29日
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ケ号作戦「乾坤一擲」キスカ島撤退作戦/Japanese occupation of Kiska:キスカ島の奇跡の作戦

ケ号作戦:キスカ島撤退作戦

キスカ島撤退作戦は、太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)中期、大日本帝国海軍ケ号作戦と称して行った大規模な撤収作戦である。太平洋北部アリューシャン列島キスカ島(鳴神島)から日本軍守備隊を無傷で撤退させたことから、"奇跡の作戦(キスカ島の奇跡)"などとも呼ばれている。それとは別に、キスカ島撤退作戦の最中、アメリカ海軍太平洋艦隊が正体不明の敵をレーダーで補足し海戦を繰り広げたことでも知られる。

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キスカ島撤退作戦での各国の参加艦船

【日本海軍】 ■指揮官 「古宇田武郎少将」「木村昌福少将」 ▼軽巡洋艦:3隻 『多摩』『阿武隈』『木曾』 ▼特設巡洋艦:1隻 『粟田丸』 ▼駆逐艦:11隻 『夕雲』『風雲』『秋雲』『朝雲』『薄雲』『』『島風』『五月雨』『長波』『若葉』『初霜』 ▼潜水艦:15隻 『伊7』『伊9』『伊24』『伊34』『伊175』他 ▼海防艦:1隻 『国後』 ○補給船:1隻 『日本丸』  VS 【アメリカ海軍】 ■指揮官 「トーマス・C・キンケイド中将」 ▼戦艦:2隻 『ミシシッピー』『アイダホ』 ▼重巡洋艦:4隻 『ウィチタ』『ポートランド』『サンフランシスコ』他 ▼軽巡洋艦:1隻 ▼駆逐艦:9隻

キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)発動

1943年5月30日、アメリカ軍にアッツ島を占領されたことで、キスカ島の日本軍守備隊5000名以上が孤立してしまう。前にはアメリカ軍飛行場があるアムチトカ島、後ろには占領されたアッツ島という状態で、退却すら困難な状況となっていた。 かくして、ケ号作戦と呼ばれるキスカ島撤退作戦が立案されることとなる。ガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦と呼ばれるが、キスカ島撤退作戦の場合、その作戦名の由来は乾坤一擲であり、同じ「ケ」でも意味合いが異なっている。ちなみに乾坤一擲とは、"運命をかけたイチかバチかの大勝負"を意味する。 日本海軍の駆逐艦損失が深刻になっていたことから、6月上旬にまず潜水艦15隻による第一期輸送作戦が行われた。2度に分けて行われたこの作戦である程度の輸送には成功したが、『伊7』『伊9』『伊24』を失う結果となった。充分な成果とはいえず損害も大きかったことから、輸送作戦には再び駆逐艦の活用が検討された。 キスカ島周辺は、視界ゼロに近い濃霧が発生する地域である。そこで考えられたのが、濃霧に紛れて高速輸送するという方法だった。完全に視界を遮れば、少なくとも空襲を受けることはない。ただし日本艦隊側も肉眼では何も見えなくなるため、第二期キスカ島撤退作戦では、二二号電探と三式超短波受信機(逆探)を装備した新鋭駆逐艦『島風』が配備されることとなった。 1943年6月29日、第二期キスカ島撤退作戦発動。潜水艦部隊が先行し、常に気象を確認しながらの航行となる。しかし途中で霧が晴れてしまい、燃料も少なくなってきたため、撤収部隊は手ぶらで帰港した。ビスマルク海海戦での経験から、慎重に慎重を重ねた木村昌福少将の決断である。 帰投後、木村昌福少将は並々ならぬ批判を受けることとなったが、全く気にせず、軽巡洋艦『阿武隈』にて釣りなどをしながら、濃霧の発生をただじっと待っていたという。そんな折の7月22日、気象台から「7月25日以降にキスカ島周辺で確実に霧が発生する」との予報が出される。 すぐさま幌筵から出撃する撤収部隊であったが、あまりの霧の濃さに多重衝突事故が発生。なかでも駆逐艦『初霜』と衝突した『若葉』の損傷は大きく、艦隊離脱を余儀なくされた。

米艦隊が亡霊艦隊と海戦を展開

一方その頃、アメリカ軍では、カタリナ飛行艇のレーダーがアッツ島南西付近に7隻の艦影を捉えていた。第七艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将はこれを日本艦隊と判断し、迎撃部隊を出撃させた。 7月26日、戦艦『ミシシッピー』『アイダホ』、重巡洋艦『ウィチタ』『ポートランド』のレーダーが27.8km地点にエコーを捉える。これを受け、トーマス・C・キンケイド中将は直ちにレーダー射撃開始を下令。海戦が始まった。 アメリカ艦隊は、ターゲットへ向け36cm砲弾118発、20cm砲弾487発を撃ち込んだ。約40分間にわたり砲撃を行うと、レーダーから反応が消失した。 ちなみに重巡洋艦『サンフランシスコ』と全駆逐艦のレーダーには、最初からずっと何の反応もなかったとされている。実際、この謎の海戦当時、この海域には日本艦隊は存在していなかったという。 7月28日、日本艦隊を殲滅したと確信したトーマス・C・キンケイド中将は、キスカ島警戒にあたっていた駆逐艦まで率いて後退していった。これにより、偶然にも、キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)当日のキスカ島警備が手薄となった。

キスカ島"奇跡の"撤退作戦発動

7月29日12時00分、日本軍の撤収部隊が慎重にルートを考慮しつつキスカ湾に突入。キスカ島撤退作戦が開始された。 突入時、軽巡洋艦『阿武隈』と駆逐艦『島風』が、敵と思われる艦影を発見し魚雷攻撃。しかしそれは艦艇ではなく、軍艦に似た島だった。濃霧の影響による誤認である。 13時40分、キスカ島守備隊の収容を開始。約5200名をわずか55分という早さで収容し、完了後、撤収部隊はキスカ島を全速離脱した。帰還途中、浮上航行中のアメリカ海軍潜水艦に遭遇したが、各艦ともアメリカ艦艇に見えるよう偽装を施していたため、気付かれずに互いにそのまま素通りした。 このキスカ島撤退作戦は、作戦開始から終了まで全艦無傷で撤退を完了させ、また、戦史上極めて珍しいケースであることから、"奇跡の作戦(キスカ島の奇跡)"とも呼ばれた。結果的に、一貫して慎重さを貫いた木村昌福少将の評価も高まることとなった。

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キスカ島撤退作戦での各国の被害状況

日本海軍>> 【沈没】:『伊7』『伊9』『伊24』 【中破】:『若葉』 【小破】:『初霜』 アメリカ海軍>> 損害なし

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