駆逐艦【島風:島風型】竣工:1943年5月10日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :駆逐艦『島風』

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦『島風』

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦『島風/しまかぜ』は、高速重雷装の艦隊型駆逐艦である。島風型駆逐艦として計16隻建造される計画であったが、戦術が再考されたことで結局『島風』1隻のみ竣工となった。艦名の島風は"島に吹く風"に由来し、海上自衛隊はたかぜ型護衛艦2番艦『しまかぜ』にも受け継がれた。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では数々の作戦と主要な海戦に参加したが、1944年11月11日、多号作戦遂行中にアメリカ軍機の空襲を受け、オルモック湾に沈没した。

▼オルモック湾海底で駆逐艦・島風発見か/ポール・アレン氏率いる探査チーム

動画:駆逐艦『島風』のプラモデル

日本海軍:島風型駆逐艦の性能

駆逐艦島風は1941年8月8日に舞鶴海軍工廠にて起工、1943年5月10日に竣工した一等駆逐艦。島風型は、高温高圧缶の採用による高速航行、島風専用に新開発された零式61cm5型5連装水上発射管による重雷装など、その基本性能の高さが特徴の次世代艦隊型駆逐艦であり、丙型駆逐艦とも呼ばれていた。 島風という艦名は初期の峯風型駆逐艦でも使用されているが、初代島風が当時の駆逐艦で最速となる40.7ノットを記録していたことから、同様に速度に優れた二代目もそれに因んで名付けられた。ちなみに二代目島風は高負荷全力公試で40.9ノットを記録。これは、魚雷艇を除けば当時の艦艇のなかで最速とされている。 島風型は16隻建造の予定であったが、太平洋戦争での戦術の変化によって水雷戦の可能性が低下したことと、手間のかかる生産工程がネックとなり、島風1隻のみ建造となった。 主機は純国産の艦本式タービン2基を搭載。主砲は、最大仰角75度で高角射撃も可能なほか、荒天時にも対応可能な全周囲シールドを備えた50口径三年式12.7cmD型改Ⅰ連装砲を採用した。また、対水上レーダーである22号電探と対空レーダーの13号電探を竣工時から装備していた。 ■全長:129.50m ■全幅:11.20m ■乗員:294名 ■排水量:3,323t ■巡航能力 □速力:40.90kt □航続距離:11,112km(18kt) ■戦時最終兵装 □50口径三年式12.7cmD型改Ⅰ連装砲:3基 □九六式25mm3連装機銃:4基 □九六式25mm連装機銃:1基 □九六式25mm単装機銃:7挺 □九六式25mm単装機銃据付座:7基 □九三式13mm単装機銃:1挺 □零式61cm5型5連装水上発射管:3基 □九三式魚雷:15本 □九四式爆雷投射機:2基 □爆雷:18個 ■レーダー □仮称2号電波探信儀2型:1基 □三式1号電波探信儀3型:1基 ■ソナー □九三式水中探信儀:1基 □九三式水中聴音機:1基

駆逐艦『島風』の最後

史上最大の海戦と呼ばれるレイテ沖海戦を生き残った駆逐艦島風は、マニラに進出し、多号作戦(レイテ島増援輸送作戦)第二水雷戦隊旗艦として投入された。 低速の輸送船を中心とした第三次輸送部隊に編入された島風はその任務中、アメリカ軍偵察機に発見されてしまう。その直後、アメリカ海軍空母13隻から約350機もの航空機が輸送隊に来襲。 輸送任務中の狭い湾内で襲われた島風だが、巧みな操艦と艦艇自体の優れた速力によってアメリカ軍機の攻撃を尽く回避し、この時、爆弾や魚雷による直撃はなかったという。 しかし、多数の至近弾や機銃掃射を浴びた島風は徐々に浸水、さらに機関がオーバーヒートし航行不能になる。それから間もなく、艦後部の爆発により島風は沈没した。

『島風』が参加した海戦
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