駆逐艦【蓼/Tade】竣工:1922年7月31日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :駆逐艦『蓼』

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦【蓼/Tade】

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦『蓼/たで』は、樅型駆逐艦の21番艦。艦名のは、そのままタデ科タデ属の植物の総称・蓼に由来している。1940年4月1日、類別変更により第三十九号哨戒艇と改名。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では船団護衛などに従事した。1943年4月23日、石垣島南方にて、アメリカ海軍潜水艦『シーウルフ』の魚雷攻撃を受け沈没。

日本海軍:駆逐艦『蓼』の性能

駆逐艦 蓼は1920年12月20日に藤永田造船所にて起工、1922年7月31日に竣工した。主砲は、日露戦争までの主力艦載速射砲を国産化し改良を加えた45口径三年式12cm砲を採用した。主機は、第三十九号哨戒艇へと改称された太平洋戦争開戦前までに、純国産の艦本式オールギヤードタービン2基へ更新したと推定される。 また、蓼は、開戦直前に甲板上に海軍陸戦隊の居住区として兵員室を設置したほか、後部甲板に大発動艇1隻を搭載した。 ■全長:85.34m ■全幅:7.93m ■乗員:105人 ■排水量:850t ■巡航能力 □速力:18.0kt ■戦時最終兵装 □45口径三年式12cm単装砲:2門 □九六式25mm連装機銃:1基 □九六式25mm単装機銃:4挺 □爆雷:18個 ■レーダー □三式1号電波探信儀3型 ■搭載艇 □大発動艇:1隻

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