駆逐艦【天津風/Amatsukaze】竣工:1940年10月26日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :駆逐艦『天津風』

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦【天津風/Amatsukaze】

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦『天津風/あまつかぜ』陽炎型駆逐艦の9番艦。当時の大日本帝国海軍の次世代型駆逐艦の試作艦でもあった。天津風という艦名は初代『天津風』から襲用している。1945年4月6日、アメリカ軍機と激しい戦闘を繰り広げた末、厦門湾で座礁し爆破処分された。

日本海軍:駆逐艦『天津風』の性能

駆逐艦天津風は1939年2月14日に舞鶴海軍工廠にて起工、1940年10月26日に竣工した。日本海軍の艦隊決戦型駆逐艦の集大成である陽炎型は、甲型駆逐艦とも呼ばれていた。 天津風は、主機は他の陽炎型駆逐艦と同じく純国産の艦本式タービン2基を搭載したが、ボイラーについては、次世代型駆逐艦用に開発された高温高圧缶をテストケースとして搭載した。その結果、機関がコンパクトになり燃費も向上した。しかし天津風の機関出力は同型艦と同じ5万2000馬力に抑えられていたため、巡航時の燃費は姉妹艦と同等だった。 主砲は、荒天時にも対応可能な全周囲シールドを備えた50口径三年式12.7cmC型平射砲を採用した。水雷兵装は九二式61cm2型4連装水上発射管を装備。竣工時より九三式魚雷(酸素魚雷)を搭載していたほか、九三式水中探信儀(アクティブソナー)や九三式水中聴音機(パッシブソナー)も装備していた。 戦争中期以降、天津風は対水上・対空警戒レーダーを装備したほか、対空機銃を増強し索敵能力や対空戦闘能力が向上した。 ■全長:118.5m ■全幅:10.8m ■乗員:239名 ■排水量:2,752t ■巡航能力 □速力:35.0kt □航続距離:9,260km(18kt) ■戦時最終兵装 □50口径三年式12.7cmC型連装砲:2基 □九六式25mm3連装機銃:4基 □九六式25mm連装機銃:1基 □九六式25mm単装機銃 □九三式13mm単装機銃 □九二式61cm2型4連装水上発射管:2基 □九三式魚雷:16本 □九四式爆雷投射機:1基 □九一式爆雷:36個 ■レーダー □仮称2号電波探信儀2型 □三式1号電波探信儀3型 ■ソナー □九三式水中探信儀 □九三式水中聴音機

単騎でアメリカ軍潜水艦と戦うも不運の最期

1944年1月16日、輸送船団を護衛中だった天津風は南シナ海で浮上していたアメリカ海軍潜水艦レッドフィンを発見。 単艦で追撃中、レッドフィンの雷撃を受け魚雷1本が左舷一番煙突下に命中した。荒れた天候も災いして船体が前後に断裂してしまい、艦橋を含む前部は間もなく沈むこととなったが、後部は幸運にも応急処置に成功し沈没を免れた。 しかし浸水によってボイラーも停止したため航行不能のまま漂流することになり、その後ようやく友軍に発見されたのは23日になってからであった。 前部を失った天津風はシンガポールへと回航。切断面の先に仮艦首を建造、甲板には仮設の操舵艦橋と前部マストが設置された。しかし大日本帝国海軍は高性能な機関を有していた天津風をそのままにすることはなく、本国での修理が決定したのだが、不運にも本国への帰投任務中にアモイ沖にてアメリカ軍爆撃機に発見される。 その際、反跳爆撃によって主砲は全て破壊され、無線機・機関・舵も故障してしまう。その後、人力操舵でアモイ島南岸にたどり着くも座礁。天津風は放棄されることが決定し、爆雷により爆破処分された。

『天津風』が参加した海戦
スラバヤ沖海戦 太平洋戦争初の大規模艦隊戦!
ミッドウェー海戦 太平洋戦争の勝敗を決定づけた海戦!
第二次ソロモン海戦 終わりなきソロモンの攻防
南太平洋海戦 ガダルカナル島を賭けた大艦隊戦!
第三次ソロモン海戦 船の墓場と化すソロモン

トップ:大日本帝国海軍 連合艦隊の駆逐艦

連合艦隊の艦艇・航空機

↑ PAGE TOP