駆逐艦【涼月/Suzutsuki】竣工:1942年12月29日

大日本帝国海軍 連合艦隊 :駆逐艦『涼月』

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦【涼月/Suzutsuki】 ※終戦後、佐世保相浦にひっそりと佇む涼月

大日本帝国海軍連合艦隊の駆逐艦『涼月/すずつき』は、秋月型駆逐艦の3番艦。艦名の涼月は、"爽やかに澄みきった秋の月"を意味し、海上自衛隊あきづき型護衛艦(2代)の3番艦『すずつき』にも引き継がれた。太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)では、主に海上護衛や輸送任務に従事した。坊ノ岬沖海戦で瀕死になるも、後進航行で佐世保に帰投したという逸話が知られている。船体の一部が、現在も福岡県北九州港(若松港)の防波堤として残されている。

日本海軍:駆逐艦『涼月』の性能

駆逐艦涼月は1941年3月15日に三菱重工業長崎造船所にて起工、1942年12月29日に竣工した。秋月型は日本海軍唯一の防空駆逐艦の艦級であり、乙型駆逐艦とも呼ばれていた。 主機は純国産の艦本式タービン2基を搭載。主砲は、砲身が長く高初速・長射程の65口径九八式10cmA型連装高角砲を採用し、九四式高射装置と組み合わせて使用された。魚雷兵装は搭載しない計画であったが改められ、九二式61cm4型4連装水上発射管を装備し九三式魚雷(酸素魚雷)を搭載した。 戦争中期以降、涼月は対空警戒レーダーである21号電探と13号電探を装備したほか、対空機銃も大幅に増強し、防空駆逐艦としてさらに対空戦闘能力が向上した。 涼月の特徴として、1944年からは、他の同型艦とは異なる直線形状の艦首、角ばった艦橋を持っていたことが挙げられる。これは同年1月にアメリカ海軍潜水艦の雷撃を受け大破した際に、復旧工事として新たに造られた艦首と艦橋である。 ■全長:134.2m ■全幅:11.6m ■乗員:450名 ■排水量:3,888t ■巡航能力 □速力:33.0kt □航続距離:14,816km(18kt) ■戦時最終兵装 □65口径九八式10cmA型連装高角砲:4基 □九六式25mm3連装機銃:5基 □九六式25mm単装機銃:4挺 □九六式25mm単装取付座:10基 □九二式61cm4型4連装水上発射管:1基 □九三式魚雷:8本 □九四式爆雷投射機:2基 □九五式爆雷:54個 ■レーダー □二式2号電波探信儀1型:1基 □三式1号電波探信儀3型:1基 □電波探知機 ■ソナー □九三式3型水中探信儀:1基 □九三式水中聴音機:1基

駆逐艦『涼月』艦首と艦橋を新造

竣工後、駆逐艦涼月は大日本帝国海軍第三艦隊の第61駆逐隊に配属となる。第61駆逐隊は涼月を含む秋月型駆逐艦2~4隻で編成され、対潜哨戒や海上護衛、輸送に従事。任務をこなし活躍していた涼月であったが、1944年1月16日、特設巡洋艦『赤城丸』を護衛中に沖の島西方にてアメリカ海軍潜水艦『スタージョン』の魚雷攻撃を受ける。 発射された魚雷4本全てが命中したことで、涼月の艦前部・後部が吹き飛んだうえに火薬庫が誘爆。その大爆発により、涼月は第61駆逐隊司令官の泊満義大佐、艦長の瀬尾昇中佐を含む乗員約130名を失った。 奇跡的に沈没を免れた涼月は、1月19日、呉に帰投した。修理は8月3日に完了したが、艦首と艦橋が新造されたため、秋月型駆逐艦の同型艦と外見上は別物となっていた。 10月16日、台湾への輸送任務中にアメリカ海軍潜水艦『ベスゴ』の雷撃を受け、再び艦首が損傷。修理後、涼月は第41駆逐隊へ編入となる。 その後も、涼月は第41駆逐隊として海上護衛や輸送などの任務に従事した。

坊ノ岬沖海戦で成し遂げた奇跡の帰還

1945年3月19日、駆逐艦涼月は戦艦大和の護衛中に呉軍港空襲に遭遇、僚艦の冬月と共に対空戦闘を行う。その後の4月6日、涼月は戦艦大和の直衛艦として沖縄水上特攻へと出撃した。 4月7日、群れをなして押し寄せるアメリカ軍機と会敵、坊ノ岬沖海戦へと突入する。激烈なる空襲に味方の艦艇が次々と脱落、沈没していくなか、ついに涼月にも爆弾1発が命中。大破炎上し誘爆まで起こした涼月は、操舵装置も破壊され通常航行不能となる。 【坊ノ岬沖海戦】空襲を受け大破炎上する駆逐艦涼月 ※写真画像:空襲を受け大破炎上する駆逐艦涼月/坊ノ岬沖海戦 14時23分、アメリカ軍の第二波攻撃により大和が沈没。艦長の平山敏夫中佐がこれ以上は戦闘続行不可能と判断したことで、涼月は帰投を開始した。 しかし涼月は、大破し前方へ10度傾斜、海面と甲板の距離がわずか数十センチと沈みかけの状態であった。前進するとそのまま潜っていってしまうため、後進しながら帰路につくこととなった。 一晩中火災が鎮火せず目立っていた涼月は、度々アメリカ軍機に襲撃されたが、運良く命中弾はなかった。また、偶然近くを航行していた漁船1隻から「われ貴艦の側方を護衛する」という旨の手旗信号を送られたという逸話も。 4月8日14時30分、涼月はついに後進航行での日本本土帰投を成功させた。この際、すでに沈没したと思われていたこともあり、佐世保海軍工廠からは大歓迎を受けたという。

軍艦防波堤となった駆逐艦『涼月』

応急修理が行われた後、駆逐艦涼月は、後部砲塔二基のみを残し、固定砲台として佐世保の相浦に係留された。 7月5日、涼月は第41駆逐隊から除かれ第四予備艦となる。その後、8月にアメリカ軍機との対空戦闘が勃発、P-51ムスタング1機を撃墜し、そのまま終戦を迎えた。 終戦後は、涼月の船体はいわゆる軍艦防波堤として利用されることとなった。場所は福岡県北九州市の若松港。現在の北九州港である。

駆逐艦『涼月』が参加した海戦
呉軍港空襲 全艦対空戦闘用意!日本海軍最後の戦い
坊ノ岬沖海戦 天一号作戦発動!戦艦『大和』最後の水上特攻

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